ゲームがスマホと据え置きに棲み分けするようになって以降、ひたすらリアリティを追求する据え置き機を見ていると、ふと昔のゲームが懐かしく感じたりしないだろうか。
昨今のゲームは昔なつかしのゲームに慣れている人だと物足りなさすら感じるほど進化しているが、リアリティを重視するレースゲームというジャンルはリアルさの面以外さほど進化していない。当初から現在のレースゲームとしての枠組みは完成していたということだろうが、それではそもそも「レースゲーム」というものはどういう経緯で生まれたのだろうか。
本記事では現在のいわゆるレースゲームと呼ばれているジャンルの成立から一般家庭への普及までを、歴史的な名機の紹介とともに解説している。マイナーなものも含まれているが、中には今でも入手可能なものや可動しているゲームセンターもあるので、これを機にレトロなゲームの魅力を体験してみて欲しい。
目次
1.古いものでは60年前?多様化していくレースゲーム
定番のレースゲーム言えど様々なバリエーションや開発の試行錯誤があり、現在迄の歴史を紡いでいる訳だが、どの様なバリエーションや経緯があったのだろうか。
コインレーサー
巷でレースゲームと言えば、ステアリング(ハンドル)と、ギア、そしてアクセルとペダルを操作し、制限時間内に目的地に到達するか、サーキット等で競争をし、その順位を競う物が一般的である。そして、それらを操るドライバーであるプレイヤーが座るところも車のシートを模しており、通常のゲームと比べてより没入感が得られる体験的な仕上がりとなっている事が多い。
これらの特性上もあり、レースゲームは汎用的な筺体に比べて開発費用が多く使われ、その製品サイズも大型の物が多く、新たな技術革新の披露の場でもあった。そして完成されたレースゲームは多くのプレイヤーを魅了し、リアリティがあり、そして現実にはあり得ない世界へと誘う事からゲームというジャンルでも定番の人気カテゴリーとしてゲームの歴史上でも早くからその位置を確立している。そのビデオゲーム上でのレースゲーム登場前は機械式のメカを使用したレースゲームが中心だった。
中でも特に有名なもので《関西精機制作所》の《ミニドライブ/1959年》がある。《ミニドライブ》はベルトコンベア式のコースに、自機である自動車を走らせポイントを稼ぎどれだけ走破出来るかというゲームだ。その外観もステアリングが採用されており、デパートの遊技場を中心に全国的にヒットし、子供の心を掴んだ作品だ。
ビデオゲーム上でのレースゲームの発展とは別の形で、このようなエレメカ式のゲームは子供にもわかりやすいギミックと、味わい深い演出とゲーム性によって独自の発展を遂げていく事になる。本コラムではエレメカの歴史については割愛する。
王道的レースゲーム
現在多くのレースゲームはF1で言えばモナコグランプリや、ル・マンのサーキット、実在する物をよりリアリティに再現し、コーナーを攻めればステアリングにフィードバックがかかり、サラウンド配置されたスピーカーからはライバル車を抜き去る音が鳴り響く。これは一番多くを占めるリアリティ重視の王道的レースゲームだ。
現在の製品で言えば《頭文字D》の様なゲームだ。これにはシミュレーション式実在の風景を取り込み、ゲーム上でより現実に近く再現する程、プレイヤーがまるで実際の世界で大変なスピードで走行出来る気分を味わったり、F1のサーキットを走行出来るものだ。
その源流は当時ビデオゲーム界に世界初の大ヒットゲーム《ポン》を開発、販売し颯爽と登場した《ATARI》社の《スペース・レース》だと言われている。
しかしこれは一般的なレースゲームとは言い難く、スペースシャトルを誘導し隕石を避け目的地に送り込むタイプのゲームだった。当時は一色の数ドットをサッカーボールやテニスボールに見立て、やはり一色の棒一本をサッカー選手やテニスラケットに見立て、タイトルが”ベースボール”としたように、その筺体の持つデザインやステッカー等総合的に見てタイトルからして「これはサッカーなのである」と言われればサッカーをしているのだとした様に、メーカーのコンセプト提示が大事だった。
故にこのスペース・レースは宇宙レースなのであり、未来の宇宙船による壮大なレースシーンの一つの場面で隕石を避けているのである。つまりゲームの開発は概念なのだ。
その他のレースゲーム
一般には出回っていないが、教習所で使用するドライブシミュレーターや軍で使用する、戦闘機や戦車のシミュレーターもレースの系譜に位置するだろう。自分が運転しないものでも、ラジコンマシンやミニ四駆、はたまた船を操作するという設定で競争を目的としたりする物がある。中には競馬や競艇を題材にし、競走馬やボートで競争するタイプも存在する。
1990年代に入ると、よりロールプレイングパートが強化されたり、ドライビングチームのマネジメントをしたり、車の詳細な強化(チューニング)を売りにしたりするゲームも増え、多様化が進んだ。
バトル形式のレースゲーム
レースゲームの中でも王道と人気を二分しているものに《マリオカート》タイプのゲームがある。実際のレースとは大きく異るのがライバル車に対し妨害を与えたり、アイテムを取得したり、空中を飛んだりする事で言わば漫画の世界での事かのようなもので、基本的に対戦要素が強調されているバトルタイプとも言え、子供にも人気がある非常にゲームらしいゲームだ。
このマリオカートに代表される様に実際のレースに大きな架空のSF的アレンジを施したり、プレイヤーは車や馬など走行する物を動かすがレース上での競争がゲームの目的ではないゲームはどのような歴史があったのだろうか。
例えば、レースにライバル車を攻撃する要素がある作品で、有名なのが《データイースト》社作品の《バーニングラバー/1982年》だろう。ゲーム黎明期らしい見下ろし視点のオーソドックスな構成ながらも、敵に体当たりをし、はじき飛ばし、また高速走行時はジャンプをし、障害物を避けたり、敵車を潰したりする。というシンプルながらも良くまとまった作品で国内外でヒットした作品だ。
社会問題にもなったデス・レース
だが実は82年の更に昔の1976年に世間を騒がせたレースゲームがある。それは日本にはごく僅かしか輸入されなかったが、北米を中心にヒットし、そのゲーム性が問題となりアメリカ国会でも問題として議論され、連日ニュース誌、新聞、テレビで問題となってしまったヒットした、アメリカ《エキシディ》社が開発販売した《デス・レース/1976年》である。
《デス・レース 》は画面上で歩いている人間(グレムリンという”設定”)を時間内にひたすら轢き殺すというゲームだ。当時、同様の設定で年齢や性別によりスコアを加算する競争を取り扱った映画《デスレース2000》がアメリカで反響を呼んでいたが、これにインスピレーションを受けた《エキシディ》のハウエルアイヴィー達がゲーム化したもので、元々オリジナルで1から製造したゲームでは無かった。
元々《デストラクション・ダービー》というベースのゲームがあり、当時としてはまだ珍しかったROMデータを交換し、ゲーム内容を若干変更し、グラフィックスを墓標やヒトに置き換えて完成させたものだった。前作の《デストラクション・ダービー》もそこそこのヒットだったので、多少は売れると考えたが初回は200台の設置と緩やかな出だしだった。
しかし、事件が起きた。《デス・レース》ゲームの設置先であるショッピングモールで子供達がその面白さに、列を作って遊びだしたのだ。そのゲーム場での行列という出来事をAP通信の女性記者が何事かと見に行った時に、ゲーム内容を見て、子供が人を轢き殺し、そしてゲーム筺体からは悲鳴を思わせる電子音が鳴り響いていた。
すぐさま記者はこの事を問題視し、記事にまとめ、その反響は強烈な勢いで全国的に批判の対象とし広まった。当時のニューズウィーク、ナショナルエンクァイアラー、スターン、プレイボーイ、そして各テレビ。その波紋は国会に及び、国家安全保障理事会では「病的」なゲームとして認定された。しかし、メディアに取り上げられる程にゲームは話題を呼び、《エキシディ》社のヒット作品となった。
本作こそが、初のレース競技を主体とした以外でのヒットレースゲームである。本作に纏わる話は話題に事欠かず、日本で輸入したある商社が実刑を食らっただの、国として禁止にした、《エキシディ》に爆破予告がされ警備員を大量に雇う羽目になっただの大きな騒ぎが事欠かない。それほどだったのである。レースゲーム史上で見ても、これほどの話題を産んだゲームは今日まで登場していない、その話題性から日本の好事家達の間でも、名前の通りは良いのが本作であった。
2.現在の人気に至るには欠かせない4つの波
第一波:ビデオゲームとして認知
巷で大きくゲーム愛好家以外にもレースゲームとして印象強く広まった作品は何か?それはドイツの《ドクター・フェルスト》社が開発した《ニュルブルクリンク 1/1975年》に遡る事が出
来る。ただ、このゲーム基板は複雑な構造で量産が難しくコストが掛かかる物だった。
後に「スターファイアー」を開発する事になる、テッド・ミションはたまたま早期にコレを見る縁があり、インスピレーションを受け《ナイト・レーサー/1976年》を開発した。しかしこれは不遇にもその時在籍し、販売していた《デジタルゲームズ》社が経営難に陥っており拡大販売が出来なかった。
結局、その版権を当時業界大手の《ミッドウエイ》社に売却し、倒産してしまう。その後《ミッドナイト・レーサー》として発売される事になるが、この時の遅れも手伝い、その間に同じく
大手である《アタリ》社が同じく《ニュルブルクリンク1》を同時に知り、《ナイトドライバー/1976年》として発売してしまう。この年のゲームショーで同時に似たゲームが並ぶ事にな
るのである。そしてこのナイトドライバーは人気を博し、ドライバー主観のゲームとしては大きくヒットし、家庭用ゲームマシンATARI2600へも移植される事になるのである。
ゲーム自体は制限時間内にクラッシュを避けどれだけの距離を走破する事が出来るのかを競う物だ。今遊んでも非常に限られた技術ながらも夜間走行をうまく表現しており、そしてレースゲームの本質的面白さが凝縮されている物となっている。
第二波:ゲーム性の追求
次に世界的に大きくヒットしたのは日本が誇る老舗ゲームメーカー《ナムコ》が開発した《ポールポジション /1982年》である。このポールポジションは当時一般的なテーブル筺体が殆ど50万円以下のオペレーター渡し価格であったのに対し、130万円を超える価格ながらも世界的にヒットを記録したレースゲームである。
この作品は当時の《富士スピードウェイ》を元にコースレイアウトをし、予選と決勝で競うものだ。当時としては綺麗なグラフィックスと、音声案内、適度なゲーム性が相まって大変な人気を得た。この作品は今で言うNintendo3DSとマリオブラザーズのパック商品の様に、家庭用移植の目玉とされた程だった。
事実、ATARI2600の日本バージョンであるATARI2800のテレビCMではポールポジションが遊べるのはATARIだけ。という事を強調するものだったし、その数年後の後継機種《ATARI7800》ではGCCが移植したポールポジションが同梱されての販売だった。そして、ポールポジションの成功が各社のその後の開発のお手本にもなり、ベースとなっていく。
第三波:ドライブという視点
一方、レースの要素を若干薄め「ドライブ」感をより強調した傑作が日本の《SEGA》が開発販売した《アウトラン/1986年》である。この作品は現在でもアウトラン2として稼働している程であり、また好事家達の間で初代のデラックス筺体は100万円を越す価格でトレードされている程のマニア人気が高い。
本作はゲーム開始時にドライブ中のBGMを選択が可能で、ゲーム中のグラフィックスも気持ち良くアメリカを横断するかのような美しい配色が続く。それまで競争性の強かったレースゲーム市場の作風から大きなターニングポイントを作り出した作品であり、当然多くの家庭用ゲーム機に移植がされた。
第四波:ドットから3Dへ
そして、ナイトドライバーが第1世代の黎明期、ポールポジションがドット・グラフィックス表現をベースとした第2世代、その拡張版がアウトランで第3世代とすると、第4世代はやはり《ナムコ》による全編テクスチャ・マッピングによる《リッジレーサー/1994年》がヒットをした。ポリゴン表現もしくはプリ・レンダリング表現によるレースゲームはその以前にも登場していたが、大ヒットを記録したのはナムコのリッジレーサーだった。
従来のドットによる表現と大きく異るのは、ドットの表現の場合、一つのグラフィックスで遠近を表現する場合、画像が乱れる元となったが、計算によりよりスムーズに拡大、縮小が出来る事となった。新技術の登場により、より画面全体を動かしたダイナミックなドリフト走行や演出を楽しめる結果となり、その後のレースゲームはドット表現から3D処理をメインとしたゲームが増えていく事になる。
3D処理をしたゲーム自体は《SEGA》による《バーチャレーシング/1992年》もヒットをしているが、市場全体でみた成功度はやはり《リッジレーサー》に軍配が上がるだろう。《リッジレーサー》は、次世代機として当時登場したプレイステーションのローンチタイトルでもあった。
まとめ
《ATARI》社の《ポン》がビデオゲーム初の大ヒット作品であり、事実上のビデオゲームの一般顧客への認知の始まりだとすると、その《ATARI》社の2作品目が《レースゲーム》を題材にしている事が面白い。特にビデオゲーム黎明期からレースゲームの存在は大きく、シューティング、ロールプレイング、アドベンチャー等、他のジャンルのゲームに劣るどころか黎明期から
そのジャンルを確立してきたものなのである。
ビデオゲームの衰退が始まり、娯楽の多様化の時代言えど、実際の社会での超オーバースピードで疾走したり、街中でのデッドヒートを体験するという、より進化するリアリティ溢れるゲームの世界で疑似体験するという遊びはなくならないだろう。
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